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  • 2017.03.30 Thursday
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般若心経 6

30  三世諸佛
31  依般若波羅蜜多故 
32  得阿耨多羅三藐三菩提

試訳
三世諸佛も般若波羅蜜多に依るからこそ最高のさとりに達するのである。

この阿耨多羅三藐三菩提は前段の「究竟涅槃」を超えた段階、迷いとさとりを超えた究極のさとりということだろう。究極のさとりは肯定されるのだ。


般若心経 5

25 故菩提薩タ 
26 依般若波羅蜜多故 
27 心無圭礙 
28 無圭礙故無有恐怖 
29 遠離一切顛倒夢想究竟涅槃 
 
25段落最初の故はその前に述べてきた全体を受けての接続詞と考える。
29段落はふつう「一切の顛倒夢想から離れて究竟涅槃にいたる」と訳されているがそうなのだろうか。心にまったくこだわりがなく恐れもまったくないという状態というのは、顛倒夢想からも離れていてしかも涅槃を求めるということからも離れているのではないか。迷誤なく悟りもない、そういう自由の境地。中論から察してこれくらいのことは言い切ってもいいような気がする。 

試訳

だから菩薩が五蘊皆空を理解しつつ依般若波羅蜜多を実践するゆえに、心は
無圭礙であり、無圭礙であるから恐れがまったくない。つまりあらゆる妄想にとらわれがなく、あらゆる涅槃を求めることにもとらわれがないのだ。

般若心経 4

 17段落から24段落までは空と五蘊とは否定的に関係付けられていて、前段と矛盾するように見える。

17 是故空中
18 無色無受想行識  
19 無眼耳鼻舌身意
20 無色聲香味觸法 
21 無眼界乃至無意識界 
22 無無明亦無無明盡乃至無老死亦無老死盡  
23 無苦集滅道
24 無智亦無得以無所得

この不可解さは17段落の「中」を本質と捉えることにより、わかりやすくなるように思う。前段で空の相がどのようなものであるかを説明したあとでいよいよ空の本質が語られるわけだ。

試訳
空はそのように生滅、垢浄、増減を超越していて、つまりその本質は五蘊でもなく六根でもなく六境でもなく六識でもなく十二因縁でもなく四諦でもなく智でもなく得でもなく所得でもない。

般若心経 3

12 舎利子 
13 是諸法空相 
14 不生不滅 
15 不垢不浄 
16 不増不減

5から11の段落では五蘊皆空の言い換えであって、空自体については説明はなかったのだが、ここからいよいよ空の説明に入る。14から16の特性は空の説明となっている。

試訳

舎利子よ この五蘊の働きは空の相を持っているのである。空の相はつまり生まれもしないし滅びもしない。穢れないし清められることもない。増えないし減らない。(五蘊は生滅変転を常としているが本質はそうではないのだ。) 


般若心経 2

 5段落から11段落までは五蘊皆空とはどういう事かを丁寧に言い換えた形となっている。文章の構造は色即是空の項目で説明したとおりである。

5  舎利子
6  色不異空
7  空不異色
8  色即是空
9  空即是色
10 受想行識
11 亦復如是

試訳は

では 舎利子 よ、五蘊皆空について説明しよう。知っての通り五蘊とは色受想行識の5つの異なるものの総称である。それぞれ異なっているように見えるが実はそれぞれがそのまま空なのである。そして空はそのままで色であり受であり想であり行であり識であるのだ。




般若心経 1

1 観自在菩薩 
2 行深般若波羅蜜多時 
3 照見五蘊皆空
4 度一切苦厄

「観世音菩薩は、真実に目覚める智恵の行を究められて、身も心もみな空であることを悟られ、いっさいの苦しみから救われる道を示された。」(般若心経がよくわかる本 成美文庫)

そうなのか?こういう読み方になるのだろうか。この訳だと
観自在菩薩は2の行為をすることによって3という理解に達しその2+3によって人々に4を示した、ということになる。

いくつかの訳を見たがいずれもこういう因果関係になっていた。2の「時」の訳し方なのだが英語のwhenと同じで「時」には「することによって」という因果関係を示す接続詞にもなりうるのだろう。でもこれでいいんだろうか。

般若心経は五蘊皆空について説明されたテキストである。そのテキストの冒頭で「五蘊皆空を理解するには智恵の行の実践による」と言われてしまえば、この般若心経を読む必要性がなくなってしまうのではないか。空の理解の道が実践ということなら。書物を捨てて街へ出よう ということになってしまうではないか。

そこで私の試訳
観自在菩薩が般若波羅蜜多を完全に実践している時には、五蘊皆空という正しい理解に達しているのであって、その理解があるからこそ、人々に苦厄を乗り越える道を示すことができるのだ。(ではその実践の原動力である五蘊皆空とはどのようなものかこれから述べることにしよう)


「時」をなになにする時 というふうに訳したほうが後の文章との関係が自然に思えるのだが。
 


色即是空の意味 2

 色即是空の段落で言われていることはつまり 色 受 想 行 識 が空であると言うことである。色 受 想 行 識とは般若心経の冒頭

1 観自在菩薩
2 行深般若波羅蜜多時、
3 照見五蘊皆空
4 度一切苦厄


の3に出てくる五蘊(ごうん)であって色即是空の段落の5から11はこの3の部分を念入りに説明した部分なのだ。行1から11の間でもっとも大切な言葉は3の五蘊皆空なのだ。

つまり色即是空の言葉でもって私たちが理解すべきことは色即是空の意味なのではなく

五蘊皆空の意味

なのである。


アンドロイド

  公開時、映画「ブレードランナー」を見たとき、なぜアンドロイド(レプリカント)があんなに人間をうらやむのか、自らの命が尽きるのをあんなに悔やむのか不思議だった。確かに設定された4年と言う人生は短いが、80年と言う人間の人生だってそんなに長いものではない。人間と一緒じゃないか。そう思っていた。最近やっと違いがわかった。人間には来世があるのだ。人間は死後も精神が永続する。アンドロイドは死ねば何も残らない。これは決定的な違いだ。見方を変えて言うとこの映画は、人間は神によって創造され永続する精神を持つと言う宗教観が基本にあって初めて理解できるのだ。
アンドロイドのバティーが最後にいう台詞、
「お前ら人間には信じられぬものを見てきた。オリオン座の近くで燃えた宇宙船や、タイホンザーゲートのオーロラ、そういう思い出もやがて消える。時がくれば涙のように、雨のように」
は、自分が完全に無へと帰す虚無感を切々と述べた言葉だ。

死ねば自分は無に帰すと思っている無神論者の日本人はこのアンドロイドをかわいそうだとは思わないだろう。もしかわいそうだと少しでも思うならば、その人は心のどこかで神を信じていると言うことではないだろうか。

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